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2006年12月31日 (日曜日)

上山市長選

 この度、といっても一昨日ですが、市長選挙に立候補することを決意しました。正月明けに公表するつもりでしたが、後援会はじめ内々の方々に話しをしたら、口止めの内緒の話が翌日には相手陣営に届いており、内緒の意味がなくなったのでここに表明いたします。新聞には、3日ないし4日に掲載されるものと思います。
 さて、出馬の動機ですが、単純です。自分が市議会議員に立候補した時と同じです。上山の町を良くしたい、上山のために働くということです。
 一旦は立候補しないと決めたのですが、断念した後になって、多くの支持者から待望論が復活してきました。やはり市議会議員に立候補した時の初心に帰れば、多くの支持者を失望させることは、今後の市議会議員の活動に全く迫力を欠くことになります。
 今回の選挙で目指すところ、すなわち今後のまちづくりのキーワードは、「市民の力の結集」です。
 みなさん良いお年をお迎えください。

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2006年12月28日 (木曜日)

金原くんの頑張りに学ぶ

 3年ほど前に買ってそのままにしておいた本を昨日読みました。たまたま積んでおいたのを手にし、読み始めたらおもしろくて一気に読んでしまいました。
 その本は「がまんの32日間」という金原由浩君(新町)が書いた本です。
 彼は、4年前に、鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬まで2700kmを32日間で走りとおしたのです。本には、1日も休まず、身体の限界に挑戦した壮絶なドラマが綴られています。1日平均86km走り、平均睡眠時間は6時間にも満たない。足を痛め足を引きずりながら歩いたり、下痢、血便、頭痛、腹痛、耳鳴り、舌と唇のしびれなどと闘いながらの32日間だったそうです。
 本の最後に彼は次のように書いています。
 「・・・時代の流れとともに人間が失ったもの、忘れ去られたものを取り戻せた気がする。がまんが不要になった現代。がまんを強制するつもりはないが、自分のできる範囲でのがまんは、いつの時代でも自分が成長していくうえで必要だと思う。
 今は、自分の成し遂げたことに自分自身が感動している。何のために走ったのか、何を支えに走り続けたのか、なぜここまで自分ががまんできたのか、今でもよくわからない。
 ただ、自分で決めたことは、最後まであきらめずにやり遂げたいという気持ちだけだった。そんな単純な思いだ。
 この32日間は、自分らしく生きられた時間だった」

 勇気をもらった1冊だった。皆さんにも一読願いたい。
 今日は仕事納め。今年1年お世話になりました。みなさん穏やかな年末年始をお迎えください。

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2006年12月27日 (水曜日)

理不尽なメガバンクの政治献金

 昨日、耐震偽装問題の姉歯被告に懲役5年罰金180万円の判決が東京地裁でありました。今のところ大きい地震が起きていないからいいものを、マンションに入居している方々は、刑が軽すぎると口々に言っていました。
 この被害者の方々に対し、銀行は何ら打つ手を出していません。ローンはちゃんと返していただきますとの姿勢です。
 一方、政府自民党へは、大手銀行(メガバンク)が政治献金を再開する意向だったとのこと。公的資金の注入、つまり税金の投入を受けて再建し、現在史上最大の利益を上げている銀行がこともあろうにお客さんに利益を還元するのでなく、自民党へ献金するなど考えられないことです。一体経営陣の頭はどうなっているのでしょう。
 さすがに、世間の反発にあったため、安倍総理も献金を断ったようですが、全く常識のかけらもないとは、このことです。
 大手銀行は税金の注入で再建できたのですから、政治献金ではなく耐震偽装の被害者にローンの減額など救いの手を差し伸べるのが筋ですし、実際やるつもりならできるのです。利益を誰のために使うべきか、企業の社会的責任とあわせて私たちも考えてみましょう。

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2006年12月26日 (火曜日)

新聞奨学生のこと

 この時期になると毎朝ポストから朝刊を取り出すたびに、雪国の新聞配達は大変だなぁとつくづく思います。
 自分は、高校3年の時に東京の私立大学進学にあたり、親に金銭的に迷惑をかけたくないと思い、新聞奨学生として進学することを決意したのでした。この制度は、4年間新聞配達をすることで、学費と生活費が新聞社から支給されるというものです。途中で辞めれば、新聞社が出した学費は期間に応じて返還しなければならないというものでした。
 朝刊、夕刊、チラシ折り込み、集金、勧誘の仕事があり、とても大変でしたが、その時の経験が今役立っていると考えています。結局、親の定期的な仕送りなしに大学を卒業することができました。ただ、4年間でなく6年かかりましたけど。うち4年間は厚生年金もしっかりかけていただきました。
 金がないから進学できないというのは、私から言わせれば理由にならないということになるのですが、中々自分の子どもに「新聞配達をやって大学に行け」といっても、納得させることはむずかしいです。今の世相というか、世の中が昔に比べ少し裕福になったせいか、新聞配達して大学に進学するなどということが、子どもには想像できないようです。
 新聞奨学生の制度も、30年前の昔と比べ休刊日も増えましたし、仕事も楽になったようですから、もっと活用されてしかるべきだと思います。
 すべてを親がかりで卒業することに何の疑問を持たないことは、日本の特徴なのかもしれません。経済的に独立することで自分の好きなことができ、私も休学したり、外国に行ったり、6年で卒業することも許されたわけです。

 後1ヶ月で、2男がセンター試験を受けることになりますが、どうなることやら。

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2006年12月25日 (月曜日)

小春日和のクリスマス

 今日はびっくりするくらいの晴天で、蔵王が物凄く綺麗に見えます。暖かくてこれぞ小春日和。昨年は、雪が早く降ったので雪景色のクリスマスでした。
 また、昭和55年はクリスマスイヴの晩に大雪で、山形から上山まで3時間もかかってしまう状態で、途中でガス欠の車が続出。私は葉山温泉のスナックで飲んでいて、タクシーが来ないため、牧野の自宅まで1時間かけて歩いて帰った記憶があります。
 その年の冬は大雪で、市役所の屋上に職員が登り、スノーダンプを使って雪下ろしまでしました。

 さて、今日はクリスマス、昨日はイヴ、明日は、イギリスではボクシングデーといいます。
英語では、Boxing dayと書きます。クリスマスの寄付が入った箱(box)を開ける日ということで、この名前が付いたと聞いています。
 私がロンドンで約3ヶ月アパート暮らしをしていた時、今から29年前ですが、クリスマスの晩がやけに静かだったことを思い出します。外で馬鹿騒ぎなどせずに、みんな静かに家族で過ごしていたのですね。
 クリスマスの静けさとは裏腹に、大晦日の晩は大騒ぎでした。トラファルガー広場に若者が終結し、酒に酔って噴水に入る者もいます。そして、何より面白いのは、「ハッピーニューイヤー」といって、誰とでもキスができることでした。あたりかまわず、通行人同士がキス、車のドライバーと歩行者がキスをしまくるのです。ロンドンに行くなら、大晦日がお勧めです。ところで今でもそんなことやっているのかな。
 また、年末年始のバーゲンも見逃せません。バーゲン用でないものが本当に安くなっているのです。バーバリーやアクアスキュータム、ダンヒルなどいい買い物ができます。
 私は、その時に買ったスコッチハウスのカシミアのマフラーを今でも使っていますが、風合いが変わらないのはさすがですね。いい物はいい。
 しかし、そんなロンドンにも1昨年訪ねたら、リージェントストリートにユニクロができていました。がっかり。値段は日本より少し高めでした。
 かつて住んでいたアパートも訪ねてみましたが、そのままの雰囲気で残っていました。

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2006年12月24日 (日曜日)

冬至の話し

 一昨日は冬至でした。冬至というと1年で1番昼が短いと言われており、次の日からは少しずつでも長くなるので気分的にはいい感じがします。でも冬本番はこれからなのですが。
 さて、この冬至ですが、昼の時間が短いのは間違いないのですが、日の出が1番遅いのは、1月上旬で、日の入り(日没)が1番早いのは12月上旬だそうです。12月上旬に比べ、今は約4分ほど日の入りが遅くなっているのです。日の入りが遅くなっても、日の出の時間も遅くなっているので、差し引き昼の時間は1年で1番短いということになります。
 この理由は、実際の太陽の動きと私たちが使っている時間(24時間)との間に均時差というズレが生じているからなのですが、話しが難しくなるので学校の先生にでも聞いてきてください。
 冬至は、ゆず湯に入り、冬至かぼちゃを食べるのが江戸時代からの定番になっていますが、かぼちゃは16世紀の中頃にポルトガル船によってカンボジアから入ってきたと言われています。カンボジア、かぼちゃ、似てますね。私は3度カンボジアを訪問していますが、まだ向こうでかぼちゃを食べたことがありません。大きくて重たいかぼちゃを手に持って写真を撮ったことはありますけれど。
 冬至かぼちゃを食べると、中風(脳卒中)にならないとか風を引かないと言われているそうですが、皆さんは食べましたか。ちなみに私は、鍋を囲んで宴会をしていました。

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2006年12月21日 (木曜日)

変な英語

 昨日市内の某旅館での会食の折り、ティーラウンジの看板を見たら、そこには「TEA LOUNG」と書いてありました。4面に同じ文字が書いてあるのですが、それは明らかに「TEA LOUNGE」の間違い。Eが抜けているのです。何年もこの状態だったのでしょうね。
 英語の間違いもうひとつ。市内にウール製品を扱うお店があるのですが、そこの看板には、「WOOL'S  ○○」と書いてあります。○○にはお店の名前が入るのです。
 'S は所有格を表しています。気持ちは十分に分かります。「ウールの○○」というのを英語で表現したいのでしょう。日本語の表現法をそのまま英語にするとこうなるのですね。
 「WOOL SHOP ○○」とか「○○WOOL」にするか、英語にしないで日本語で「ウールの○○」にすれば良かったと思います。
 横文字にすると何か洒落た感じがするので、こうしたのでしょうが、皆さんどう思いますか?
 私達が海外に行って、空港やレストランで間違った日本語の表現に出会うことがありますが、それと同じで愛嬌といえばそれまでですが。
 ところで私が間違っていることはないでしょうね。その際は教えてくださいね。

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2006年12月20日 (水曜日)

阿部市長 ご苦労様でした

 昨日12月定例議会が終わりました。阿部市長にとっては、最後の定例会になるため、議会閉会後、長老議員の菊地正昭議員がねぎらいの言葉を送りました。
 菊地議員の名調子に阿部市長もほろりとしておられました。助役時代3年間、市長として8年間市政運営に携わってこられたのですが、まさに激動の時代を過ごされたのでした。
 何といっても1番の功績は競馬場廃止でしょう。阿部市長でなければもっと傷口を広げ借金を重ねたのではないかと思っています。何年も前から、競馬存続と上山市の存続は両立しないことは明らかでしたが、競馬関係者はもちろん、議員の中にも存続を主張する方がおられ、廃止したくとも出来ない状態が続いていました。罵声を浴びせられながら、時には身の危険も感じながら、廃止の英断をされた阿部市長です。もし廃止しなければ、夕張市と同じ状態になっていたことは間違いありません。
 しがらみのないクリーンな阿部市長だからこそできたことだと思っています。
 これからは一市民として、大所高所からの市政に対するアドバイスをいただきたいものです。
 奥さんも、さぞかしほっとされておられることでしょう。
 市長でなければ分からない合併破談の裏話なども退任後に聞いてみたいと思います。本でも出版してもらえればいいですね。市長の任期は2月13日までです。

 なお、横戸長兵衛議員は、市長選に立候補するため、今日20日付けで議長に辞職願を提出するとご本人が言っていました。今日は大安吉日。

 

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2006年12月19日 (火曜日)

地域づくり視察 イン 宮城県

 16日から17日にかけて宮城県栗原市と大崎市に視察に行ってきました。Dsc00968_1
 16日は、仙台市の地域づくり勉強会「コア21」のメンバーの仲間に入れてもらい栗原市で、しいたけ栽培のプラント、14種類の漢方草を餌に混ぜて飼育している肉牛農家、山の中でトラフグを養殖している会社、それから来年3月で廃止される栗原田園鉄道への乗車、ロシア正教のハリストス教会などを見て回りました。
 朝9時20分に栗駒高原駅に集合、周りを見ると全員背広姿で名刺交換をしている。私と妻はカジュアルで旅行気分。何か場違いな感じ。名刺も5枚しかないし困ったな。促されて栗原市長と名刺交換。残りは4枚。
 コア21の視察団は、河北新報社の一力雅彦社長を先頭に、日銀仙台支店長、日本IBM仙台支店長などそれなりの肩書きを持った人たちが多い。
 専用のバスを用意していただき、夕方5時までの盛りだくさんの日程でいざ出発。
 それぞれ印象深いところでしたが、シイタケ栽培と肉牛について書きます。Dsc00960
 シイタケといえば、原木栽培をイメージしますが、そこでは木質チップと籾殻をブロック状に固めたものに菌を植え付け、室内で栽培するというもの。雑菌がないため、取立てをそのまま生で食べられる。もちろん刺身でもOK。シイタケは1000億円市場。うち400億円が中国からの輸入らしい。中国では原木に注射をして成長を促進させたり、安全面で不安があるとのことで、国でも国内生産を増やしたくているらしい。シイタケは血圧を下げる効果もあり国内産がもっと増えればいい。生はおいしいですよ。Dsc00963
 次の肉牛農家ですが、ここでは驚いたことに自然交配に自然分娩。私が知っている牛の分娩は、人間が赤ちゃん牛の足を引っ張って分娩を手助けするのですが、ここの農家の主、関村さんは、「それは人間の余計なお世話」と言う。14種類もの漢方草を飼料に混ぜて食べさせているので排泄物も臭くない。人間と同じで食べ物が肝心と関村さんは言う。
 良い物を食べて、十分運動しているので、肉にサシがあまり入らない。それでも十分柔らかく、脂臭さもないため肉が苦手な人も食べられるとのこと。霜降りの高級な米沢牛、松坂牛などは、わざと運動をさせないで、ある意味で病気状態にして霜降りを故意に作っているので人間の身体には良くないらしい。漢方牛の肉は、口飽きしないので中学生などは2kg位食べるとのこと。
 お昼は、旧築館町のダイニングレストラン「まん天」で、シイタケの刺身、漢方牛の刺身と焼肉、ふぐ刺しとふぐ鍋をいただきました。生のパプリカに笹川流れで作った塩をちょっと付けたのもおいしかったです。「食材が命」を実感。最高に美味かったです。
 上山も食の発信をもっと強くしなければならないと感じました。

 話しは飛んで、その日は私ら夫婦だけ、鳴子の鬼首温泉に泊まりました。翌日、あちこちから熱湯と蒸気が噴出している地獄谷に行ったところ、傑作なことを発見しました。それは昔の人がやっていたことです。卵をゆでたり、蕨のアク抜きをしたり、米まで温泉のお湯で炊いていたようです。この次は、生卵と蕨、米を持って地獄谷へ行こう。これって面白い企画だと思いませんか?

 さて、鬼首を後にして、大崎市(旧 岩出山町)池月の道の駅「あ・ら 伊達な道の駅」に寄ってきました。「あ・ら」とはフランス語で、・・・風(なになにふう)という意味。池月は、伊達政宗が青年期を過ごした土地。ですから、「あ・ら 伊達な道の駅」は、「伊達風な洒落た道の駅」ということになるのでしょう。さて、私の訪問の目的は、そこの社長の佐藤さんにお会いすることと、なぜ東北で有数のお客さんの入り込みがあるのか、その秘訣を探ることでした。
 佐藤社長とは、コア21の忘年会で毎年お会いするのですが、道の駅を訪ねるのは初めてでした。佐藤社長は、合併前の岩出山町の町長を4期16年間務めた人で、人脈豊かなアイデアマンで地域づくりの名手です。
 この道の駅では、地元農産物の直売所を併設していますが、休日には農家は、朝、午前11時、午後3時と1日3回農産物を運んでくるそうで、大繁盛です。
 レストランでは、地元の食材を使った料理を出し、本州ではここでしか手に入らないおしゃれな生チョコを売っていたり、同じ地名の島根県の酒造会社の酒を売っていたり、随所に社長のアイデアが散りばめられていました。
 社長は内発力という言葉を好んで使うようです。他力本願でなく、地域が持っているエネルギーを育てることを大事にしているのです。彼の著作も売っていましたので、買ってきました。上山が大いに見習うべきことが書いてあるようです。

 今回の2日間は意義深い時間となりました。

 

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2006年12月15日 (金曜日)

昔懐かしい上山

 昨日私がメンバーになっている「上山ゆうがくクラブ」主催の「上山ゆうがく塾」の講座がエコーホールで開催されました。講座といっても映画「何処へ」の上映です。午後2時と午後6時30分の2回上映しました。平日でしたが、2時の部は200人弱、夜の部は140人弱でした。主催者としては、予想以上の入りと、何よりお客さんに喜んでもらえたことがうれしくて、満足な企画でした。俳優の上手な上山弁と懐かしい上山の風景にどよめきが起こり、笑えるシーンの連続に観客もゲラ笑い。こんなに喜ばれた企画もめずらしいです。
 この映画は昭和39年に中川中学校を舞台に撮影され、新人の高橋英樹が主演、松原千恵子、十朱幸代など綺麗どころも出ています。矢来橋や川芳そばやなど市内の風景も映ってします。特に川芳そばやの脇の桜がきれいでした。
 この映画に映し出されている、かみのやま温泉の雰囲気を再現することが、今の上山のまちづくりの課題だと思います。温泉情緒漂うまち並み再現と芸者さんの復活など40年前の上山に戻すことが大事です。

 映画と直接には関係ないのですが、この前の日曜日に、都市計画課と県が主催し、十日町の市民も交えて、十日町まち並み修景ワークショップを婦人の家で行いました。朝9時から午後4時までの長丁場。午前中は、十日町周辺を歩いて取材、午後にはどうすればまち並みが良くなるか話し合いました。来月には第2回目を開催しますが、少し具体的にどこをどうすればまち並みが綺麗に見えるか、実効性のあるものに仕上げられればと思います。とかく行政は計画づくりまでで、実効性がないといわれています。
 十日町通りを歩いて楽しい通りにし、それを手本に、新湯通り、裏町通りに波及させて、最終的には、武家屋敷を含めて、回遊性のある散策コースを作ることが私の政策課題だと考えています。
 ところで市民のみなさんに是非見てほしい所があります。新聞にも掲載されていましたが、月岡ホテルの北側、浅上餅屋さんの斜め向かいのブロック塀です。城下町再生志士隊が板塀を貼り付けたものです。この予算はたったの14万円。もちろん自分達でやったからです。このやり方は、新潟県村上市で黒塀プロジェクトとして行っているものを真似たものだと思いますが、できばえは上山がはるかに上です。これが市街地全域に広がればまちの景観は確実に変わります。すばらしい取組みです。
 

  

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2006年12月13日 (水曜日)

競馬場跡地の活用

 去る月曜日に12月定例議会の一般質問があり、私は「競馬場跡地の活用について」と題して質問しました。今までなぜか6月議会に2回休んでいまして、今回が通産13回目の質問でした。今回の質問に対しては、「いい質問だった」との声をあちこちからいただきました。この跡地利用問題については、一般市民はおろか議員もわかっていないところがあり、問題だなと思っていたものですから今回取り上げたのでした。国会のように一問一答だといいのですが、まとめて聞くので、それも3問までと発言回数が制限されているので突っ込んだ中身まで到達できないのが恨みです。質問内容を第一問は全文、第二問と第三問は要点のみ掲載いたします。市長の答弁は省略しました。

 競馬場跡地の活用について       4番 枝松直樹  

 かみのやま競馬が平成15年11月11日に廃止された後、残務処理に充てるための資金43億8500万円を調達するために翌16年3月に競馬場跡地を土地開発公社に売却しました。 
 その後、途中紆余曲折を経て、平成17年3月に市内7つの金融機関からの短期協調融資を受けましたが、同じ月に、国の土地開発公社経営健全化対策に申請を行いました。 
 この健全化対策とは、前年の12月27日付け総務省通知で示された新たな対策であり、優遇措置としては、買戻しに要する費用の100%を公共用地先行取得等事業債の対象とすることができ、その際、利子の2分の1が特別地方交付税で措置されるというものです。 
 本市はこれぞとばかりにこの制度活用に動き、本市の土地開発公社健全化計画を作成したのでした。この計画では、現在進めている財政再建計画と同じ期間である平成17年度から21年度までの5年間で土地開発公社から買い戻しをし、買戻し後は4年間で都市公園法に基づかない柔軟性をもった公園整備を行うというものでした。 
 資金調達は、公共用地先行取得等事業債を使って買い戻しをした後、その費用に公園の整備事業費を加えた額を一般単独事業債に切り換えをし、30年間で長期返済するという計画であります。
 ここで問題なのは、多くの市民は、「5年間で買い戻した後は、上山市の土地になるわけですし、いつの時期でも自由に土地を処分できる、あるいは自由に土地を使える」と理解していることだと思います。ですから、市民の中からは「跡地の使い道はじっくり検討すればいい、あせる必要はない」との声もきかれるわけです。しかし、公共用地先行取得等事業債を使って取得した土地を、工業用地など他の用途に変更することは当初の起債目的とは違うことになるわけですから、無条件に用途変更はできないはずです。
 行財政改革推進市民委員会の今年8月の提言の中では、競馬場跡地について「早期に民間活力導入の具体的な方針を定め、地元経済界とも連携し企業誘致等の実現に最大限努力すべきである」との提言をしておりますが、もしそのような方向に進むとすれば、現在の買戻しのやり方を変える必要があると思います。
 制度のいいとこ取りは簡単に認められないはずであり、用途を変更するとすればその時点で国に一括返済しなければならなくなるはずです。
 一括返済となれば今のやり方で買戻しを進めていけばいくほど、一括返済の額が膨らんでいくことになります。
 5年間の買戻し後に一括返済するとなれば、現在の財政状況の中では返済は可能でしょうか。私は無理ではないかと思いますが、可能だとすればどのような方法が考えられるか伺います。
 なぜこんなことを質問するかというと、公共用地先行取得等事業債を使って買戻した競馬場跡地は現実的には公園以外の用途には使えなくなると思うからです。ここは大事なところですから、私の認識が間違っているのかどうか、はっきりお答えください。
 一括返済の額が膨らんでいくということを考えれば、もし工業用地などへの用途変更をするとすれば早めに計画を変更すべきであります。今年度予定地のBブロックはまだ買戻していませんが、今年度は買戻しをするのでしょうか。
 今年Bブロックを買戻せば、昨年のAブロックと合わせ内厩舎部分の買戻しが終わることになります。内厩舎部分から買戻しをしているということは、面積も小さく将来用途変更するに際し、影響が少ない部分から買い戻していることの表れかと思います。
 そこで伺います。来年度から3年かけて走路を含めた中心エリアC・D・Eブロックの買戻しに着手する計画ですが、来年以降もこのまま今のやり方で買い戻しを続けていくのでしょうか。それとも計画を変更するのでしょうか。仮に変更するとすれば計画変更の申請をしなければなりませんが、その申請期限はいつですか。
 この質問への回答は、跡地利用計画にかかわることですから、計画をお示しいただく中でお答えくださるようお願いいたします。

 次に、跡地の具体的な活用方法ですが、現時点では都市公園法に基づかない柔軟性をもった多目的公園整備となっておりますが、私から現実を踏まえた提言をさせていただきます。
 私としては、本来の一番いい形は、行財政改革推進市民委員会の提言にあるような企業誘致であると思っております。本市の企業の張り付き状況から考えて、自動車産業関連の業種を中心に、市長がトップセールスを積極的に行うべきではないかと考えています。しかし、そう簡単には話しが決まるものでもないため、企業誘致は目指していくべきものとして、当面は投資が少なくてすむ、かつ将来形状の変更がしやすい、「イベントパーク」として整備すべきものと考えます。
 そのイメージをご紹介します。今、山形市のビッグウイングが県内随一の屋内外のコンベンションイベント施設として飽和状態に近い状態で利用されていることは、関係者以外にはあまり知られておりません。先日、ビッグウイングの担当者から話を伺ってきました。営業日は、365日のうち休みは6日のみで、夜通しの準備作業もあるため24時間営業です。
 屋内には展示室、会議室等がありますが、その利用率は85%ほどになっています。屋外には、ステージ、国際交流広場、イベント広場がありますが、イベント広場の利用率は、金曜日から日曜日にかけては1年前から予約で一杯の状況です。
 圧倒的に多いのは、自動車の販売会社ですが、それ以外にも農機具メーカー、造園業組合、住宅会社、環境フェアなどの利用があります。
 イベント広場の面積は7,500㎡で使用料は1㎡当たり24円ですから、朝9時から午後5時まで全日借りれば180,000円になります。これが週末の3日間毎週のように続くのです。 借りる側の業者サイドからいえば、7,500㎡では足りない、この倍くらいあればいいとのことです。展示会をするには、県都山形をはさんで上山市と天童市くらいしか候補地は考えられないといわれています。天童市には、県の総合運動公園がありますが、県の施設であり民間事業者が展示会で借りることはむずかしいと聞いています。そうすると今不足しているイベント用地の候補地は、上山市の競馬場が最有力ということになります。面積は広すぎるくらいあり、アクセスは抜群です。また、都市公園法に基づかない柔軟性をもった公園整備という今の用途からも逸脱することはありません。
 見本市などの展示会では、業者が業者を接待することもよくあり、温泉旅館への波及効果も期待できるでしょう。また、ビッグウイングの中古車ショーへ行けば分かりますが、結構な人手です。その人達が場外馬券を買うこともあるでしょう。競馬場の食堂だって再開できるかもしれません。
 このほか、ビッグウイングに問い合わせがよくあるもので、コンサートなど音を出すものがあるそうです。ビッグウイングではこれには対応できておりませんが、競馬場は、もともとファンファーレが鳴り響いていた土地ですし、単なる展示会でなく、オーロラビジョンやスタンドを活用した使い方も考えられます。もっとも場外馬券発売に支障がない範囲ということになるでしょうが。
 更に私としては、ドッグランパークの設置も提言いたします。今全国的にドッグランパークの設置が民間レベルで進められています。県内では私の知る限り、山形市に3箇所、酒田市に1箇所あります。今時の犬は、人間同様肥満傾向にあり、飼い主はどうやって運動させようかと考えています。中型犬や大型犬は散歩だけではストレスが発散できず、力一杯走らせる場所を求めています。
 名取市や山形市のドッグランパークも見ましたが、面積が小さく思いっきり走らせることは大変です。その点、競馬場は最適です。極端な話し、今まで使っていた走路をそのまま転用することも可能です。 躾にも金をかける時代ですから、訓練士を配置するなどすれば更に魅力ある施設になることでしょう。
 以上ようなことから、将来は企業誘致など新たな用途に変更することはあっても、当面はイベントパークとして整備すべきと考えます。当面と申しましたが、もしうまくいけばイベント基地として大きく発展する可能性も秘めていると思う次第です。
 もしイベント基地を目指すのであれば、上山が持っている資源、観光や農業との融合は欠かせません。とりわけ観光との融合は不可欠です。かかし祭りを発祥の地に近い所に移す、すなわち市民公園から競馬場跡地に移すということも検討されるべきではないでしょうか。スカイタワーでなく蔵王をバックにした案山子を見物しながら場外馬券を買うという姿も見られることでしょう。
 イベントパークといっても単なる散策する公園ではありませんので、ここは市民の知恵の出しどころだと思います。以上、私の提言に対する市長の所見を伺います。

 次に、ある民間の会社が競馬場を活用した高級リゾート・カジノ構想を打ち出し、現在出資金を募っていると聞き及んでいます。この構想は、坊平と藤吾を含んだ3つの拠点開発でカジノや高級ホテルを誘致しながら上山市を日本有数のリゾート地にする構想ですが、あまりに壮大で私の頭の中では、どう実現するのか理解できずにいます。
 この構想の実現のためには、国、県、市の全面的なバックアップ、支援がなければ到底実現困難と考えますが、行政として今までこの構想に対しどのように関わってきたのか、そして今後この構想にどう対処しようとしているのか現段階での市長の所見を伺います。

(市長の答弁は省略)

  (第2問)
 さて、買い戻しと用途変更の関係についてお尋ねしましたが、現行の公共用地先行取得等事業債を使って5年間で買戻した後に用途変更するには、一括返済の財源が確保がむずかしいとの見通しが示されました。
 更に、Cブロックの用途変更をするのであれば、タイムリミットは来年8月という答弁だったと理解しました。そうすると、来年8月までに競馬場跡地をどう活用するか決めなければ、買戻しの残りはDとEブロックになるわけです。時間は限られています。精力的な検討を市民挙げてやらなければならないと考えます。
 それから、仮に民間に土地を売却する場合の問題についても伺います。競馬場跡地の土地開発公社への売却時の簿価は約8万3千円であり、山形市の蔵王産業団地の売却価格は、山形市の補助金があるため相場として6万円と聞いておりますから、競馬場跡地にその価格を当てはめた場合、坪当たり約2万3千円の差損が生まれることになります。17haでは約12億円ほどの差損が生まれることになります。簿価で買ってくれるような奇特な企業などないでしょうから、これでは売却は現実的でないと判断できますが、市長はいかがお考えですか。そうなると民間活用の場合、売却が現実的でないとすると残りは貸付ということになりますが、それしかないということでしょうか。
 国の新たな土地開発公社経営健全化対策を読むと、「民間事業者への貸付により有効利用を図ることを目的として土地を取得する場合は起債対象とすることができる」と書いてありますので、土地を貸し付けるという手法を取れば、現行のやり方での5年間の完全買戻し後でも、一括返済をせずに済むことになるのでしょうか。それとも、この場合でも計画変更の申請をしなければならないのですか、その際の期限はやはりCブロックについては来年8月ということになるのでしょうか、伺います。
 それから私のイベントパークとしての整備構想についてですが、一定の理解をいただいたと理解しておりますが、整備手法は数限りなくあるわけで金をかけず今あるものを活用するという方針を前提に、多くの市民の意見を取り入れてくださるよう要望しておきます。

(第3問)
 私たちが取りうる現実的な選択肢を整理しますと、次のようになると思われます。
 ①5年間買戻して、都市公園法に基づかない多目的公園として整備する。
 ②A・Bブロックは公園として整備し、C・D・Eブロックは企業誘致のための工業用地とし て来年8月までに土地開発公社健全化計画を変更する。企業には土地を売却せず、貸付とする。
 ③A・B・Cブロックを公園として整備し、D・Eブロックは工業用地とする。この際も、土地開発公社健全化計画を変更するが、申請の期限は再来年8月までとなる。土地は②同様貸付とする。

 私は、第1問で提案したように①の公園整備をすすめるべきと考えますが、最後に市長の総合的な所見を伺います。

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2006年12月 9日 (土曜日)

今日も忘年会

 今日は雪模様。とにかく寒いです。
 今日の忘年会は、農業を談ずる会、「農談会」といって、かつて月に2回集まり農業を通じた地域づくりの本などを輪読していたメンバー6人ほどの会です。20数年前に立ち上げ、10年くらい続けたでしょうか、その後は休会し年に1回集まって近況を語り合っています。思想的には、自民党から左派系まで広がっていますが、上山を良くしたい、とりわけ農業を大事にしていきたいという点で一致しているのです。

 今日次男と一緒に吉井内科医院に行ってインフルエンザの注射をしてきました。料金は医院によって違いがあると聞いていますが、今日は1人2400円でした。70歳以上の人は1500円だそうです。
 息子は大学受験、私も試験?に備えて予防予防。

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2006年12月 8日 (金曜日)

コア21忘年会

 12月に入って忘年会シーズンを迎えています。昨日も、今日も、明日も、明後日もといった具合でとても幸せです。数ある忘年会の中で、最も得した感じの忘年会が昨日のコア21の忘年会です。毎年欠かさず出席しています。
 コア21というのは、河北新報の一力雅彦社長を中心に作られた、地域づくりの勉強会で、仙台圏と山形圏の広域交流(仙山交流)を積極的に進めています。会員は、仙台市を中心にした経営者達、日本銀行の仙台支店長、JR仙台支店長、コンサルティング会社、大学の教授などなどその道の一流の人が勢ぞろいの会です。そこの忘年会になぜ私などがいるのかというと、「上山まちづくり塾」の初代塾長の志賀秀一さんがコア21の中心メンバーであり、相互交流が始まったのでした。
 秋保温泉のホテル佐勘の社長 佐藤勘三郎さんがコア21のメンバーということで、忘年会は毎年佐勘が会場です。昨日の会費は15000円。酒飲み放題、三次会のラーメン付きですから、全く破格です。料理は、3人の料理人が宴会場の中で作ってくれるので、お膳はなく料理はそのつど皿に盛られてでてきます。
 酒はビール以外はすべて持ち込みで大吟醸など高いものばかり。何とも贅沢。酒造会社の佐浦さんもメンバーで、彼の会社のブランドである「浦霞」大吟醸は毎年楽しみにしている酒です。私は美酒かみのやまの大吟醸を毎年持っていくのですが、浦霞には負けたかな。ところで佐勘では、武田ワイナリーのワインを専門に使っています。佐勘では、本物、質のいいものを厳選しているのです。

 おいしい料理、おいしい酒を飲みながら、有意義なおいしいお話をたくさんしてきました。
 昨日印象に残った言葉で手帳に書き残した言葉。 内発力。文化度。入りを図り、出ずるを制す。(上杉鷹山の言葉)

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2006年12月 4日 (月曜日)

明新館 選抜へ?

 先週の土曜日に上山市野球連盟の納会がありました。そこには、市内の中学校の顧問、明新館の副部長、青年会議所のJC杯担当者などが集まりました。そこで聞いた話ですが、明新館が選抜に21世紀枠で出場できる可能性が高いということです。明新館は過去2回山形県の推薦を受けたのですが、東北から1校という壁をやぶることができませんでした。しかし、今回は公立校として県大会で優勝したのですから、今までとは違うという読みです。今月15日に発表されるそうですが、そうなれば上山からバスを仕立てて応援に行かなければならないと思っています。
 

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2006年12月 2日 (土曜日)

山の子の体育館完成

 11月29日に私の母校、東小学校の体育館の落成式典がありました。
 式典では、6年生の尺八合奏がありました。聞けば、古屋敷に住んでいる星野さんが3ヶ月間教え込んだとのこと。6年生14人一人ひとりに星野さんが作った尺八をプレゼントし、丁寧に教えた結果、見事に短期間で吹けるようになったそうです。「かなり個人差はあるけど大人より覚えが早い」と星野さんは言っていました。大規模校ではできない、うらやましい話しですね。
 星野さんは、神奈川県生まれで、警察官を辞め、なぜかロンドンへ、帰国してから永井栖鳳先生に師事して尺八づくりを本格的にやり、4年前に古屋敷に移住してきた人です。 師匠の永井栖鳳先生は遅れること半年して古屋敷に移住、田舎暮らしを満喫していらっしゃいます。誰でも尋ねていけばお茶を飲ませていただけるものと思います。どうぞ行ってみてください。私の名前を出せば、お茶菓子もついてくるかも。

 さて、東小学校の校歌は田舎丸出し。1番には「ああ わたしたち山の子の・・・」、2番には「ああ わたしたち土の子の・・・」というフレーズが出てきます。さすが真壁仁先生の作詞です。誇らしいですけどね。

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