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2011年5月30日 (月曜日)

合併を問う住民投票条例に反対した理由

 私は、平成15年9月議会に住民投票条例の制定の議案が上程された時、否決に回りました。その際の私の行動に異論を唱える方がいらっしゃるようですので、その時の行動の背景についてご説明いたします。釈明ととられるか詭弁と解釈されるのかは読み手にお任せいたします。私は、その当時の偽らざる考えを書くだけです。
 あれは、平成15年でした。1月に任意の合併協議会が設置され、2月には合併実現を掲げる阿部前市長が無投票再選、3月には法に基づく合併協議会が設置をされ、表立った反対運動もない中、どうみても合併は実現間近の状況でした。そういう中で、私は4月の市議選に立候補したのでした。
 その後、編入合併(吸収合併)との話になり、当初から対等合併を主張していた上山市側は、とんでもないことだと言い始め、もともと合併に乗り気でなかった方々には反対運動のいい口実を与えることになりました。
 この時点で山形市側が編入合併を持ち出してきたのはどうしてでしょう。深読みすれば山形市側の合併を崩したいとの気持ちの表れか、あるいは、合併のハードルを高くすることで、仮に合併するとしても上山には強く主張させないようにするという気持ちもあったのではと勘ぐっています。
 編入合併を機に突然出現した形の上山市の合併反対派は、反対運動として住民投票条例の制定を求める署名運動を起こしました。
 ここで考えなければならないことは、一見住民投票は民主的な手法に見えますが、それは賛成反対双方が同じ土俵にあることが前提です。
 しかし、このケースでは、条例が制定されれば、合併は破断することが予想されました。私は、山形市は合併に消極的だとみていました。
 編入を持ち出したのもそうですが、競馬場の市の土地を土地開発公社に売却して現金を生み出す手法は違法ではないかと県に照会したことなども、合併をやりたくない山形市の気持のあらわれだったと考えていました。
 だから上山市が条例を議会で可決すれば、山形市側では「無理して合併しなくてもいいんじゃないですか」という声が強くなり、合併は住民の投票を待つことなく崩れ去ることが現実に予想されました。これでは、何のための住民投票条例かわからなくなります。
 住民の意思を問う前に合併破談という結果が出てしまうようでは、合併反対派はいいでしょうが、合併賛成の人が意見表明する場を失うことになるのです。
 私の友人は一生懸命に署名運動をしていましたから、友達を失うことの大きな対価を払うことも覚悟して、否決に回ったのでした。悩んだ末の断腸の思いではありましたが、大局に立てばやむを得なかったのです。前市長から説得されて、枝松は寝返ったと悪口を言う方もいましたが、それは全く誤解というか嘘です。
 なお、山形市長の吉村さんが8月に死去したことも合併破談の大きな要因だったと思います。
 当時の私の合併に対しての態度は、「合併の弊害を最大限取り除く仕組み、すなわち小さな自治を大事にする仕組みづくり」を前提に合併賛成の立場でした。当時の議事録を読んでいただけると明らかです。
 現時点での合併については、その空気がないと感じています。

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2011年5月27日 (金曜日)

山形・山の向こうのもう一つの日本

 今日、荷物を片づけていたら、「山形・山の向こうのもう一つの日本」のタイトルの1枚のペ-パーが出てきました。下のほうに、「1988年3月1日 ベルモント、マサチューセッツ エドウィン・ライシャワー」と書いてあります。ライシャワーさんは、かつての駐日大使氏です。
 山の向こうのもう一つの日本という言葉は、私が大好きな言葉でたびたび引用させてもらっています。今回見つけたペーパーからいくつかの部分をご紹介いたします。

 「日本はある意味で、二つの違った国で成り立っています。一つは、巨大な工場や切れ目なく続く都市、そして東京一帯から北九州まで延々と続く高速道路から成り立っています。・・・中略・・・ところが、このおびただしい主要地域とは遠くない所に、もう一つの日本が存在するのです。・・・日本の本来の姿を思い出させる美しい所です。・・・・将来において自然と人間が健全なバランスをとっている、そのような、もう一つの日本に日本全体がなることを望みます。」
 1960年代に山形を旅したライシャワーさんは、いたく感激したそうです。震災で新しい生き方が問われている中で改めて、噛みしめてみるべき一文だと思います。

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2011年5月26日 (木曜日)

新聞の部数拡張合戦

 今日、東京地裁で、「押し紙報道」で名誉棄損されたとして、読売新聞社が新潮社を訴えた裁判の判決があり、しんちょうしゃに385万円の損害賠償を命じる判決があったそうです。
 週刊新潮の記事は、平成21年6月11日号に掲載されたもので、読売新聞の公称部数約1千万部のうち、30~40%が実際は販売店から読者に販売されず処理されていると指摘し、読売側が年間約360億円の不正な販売収入を上げ、不正な広告収入も得ているとしたものです。つまり、販売店に購読料を肩代わりさせていたということです。販売部数は嘘で水増ししているということになります。
 新聞への折り込みチラシをお願いする際、お宅の販売所は何部配達していますか?と尋ね、その部数分の折込チラシ代を払うわけですが、部数を水増していて結果チラシが捨てられているとしたら詐欺と同じです。

 私も大学時代、新聞販売店に身を置いた人間として、その当時(30年前頃)は間違いなく、押し紙はありましたし、水増しもありました。配達されない新聞紙を大量に捨てていましたから。
 読売は「販売の読売」と言われており、拡張員の投入、販売店への押し紙(強制的な部数の割り当て)を徹底していました。拡張員は、「カクさん」と呼ばれ、彼らは「団」と呼ばれるグループに属しているのが一般的で一匹オオカミの拡張員は少なかったようです。
 私ら学生も目標部数を割り当てられ「拡張」の仕事を通常の仕事以外にさせられたものです。この拡張の歩合が結構いいのです。拡張員はかなりの高給を手にしていたようです。
 当時の販売合戦は熾烈で、その後、各社が申し合わせをして表向きは、品物は提供しないなどルール作りはした格好ですが、未だに各社、物(拡張に使う材料なので「拡材」という)を持って部数獲得合戦をしています。
 新聞では、いかにも民主的な記事を書いても、読者に読んでもらう最終段階で汚い販売合戦をしているのが日本の新聞業界です。
 その点、地元の山形新聞は私の知る範囲では大丈夫なようです。

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2011年5月23日 (月曜日)

1000年ごとにやってくる巨大津波

 先週の金曜日に山形市内で開催された、山形南高校の同窓会総会に出席してきました。全員学ラン姿の現役の応援団が気合の入った応援のパフォーマンスを披露して満場の拍手を受けていました。
 私の高校時代は学園闘争の最後の時代と重なり、生徒会が力を持ち、自由な校風を求めて制服自由化の流れがありました。まず帽子がいち早くなくなりました。そして髪の毛を長く伸ばす者が多く、夏など色もののシャツが多く、足元は鼻緒のあるものなら何でもよしでした。サンダル、デカンショ、挙句は鉄下駄の猛者もいました。
 それに比べると、今の高校生は制服を着て一見まじめそうに見えますし、型にはまってしまっているのでしょうか。

 さて、5月19日付山形新聞の夕刊に、「仙台平野に弥生時代にも巨大津波」という記事が載っていました。その記事によると、東北学院大の松本教授の研究グループが2007年から仙台市若林区の沓形遺跡を調査、この4月に海岸から2.3~3kmの地点まで津波が押し寄せた痕跡を発見したとのこと。約2000年前の出来事です。
 仙台平野は西暦869年にも大津波に襲われたという古文書の記録があることから、1000年ごとに大災害に見舞われているということがわかったという記事でした。
 この869年の地震(貞観地震)については、東北大学の箕浦教授は、2001年に大学の広報誌の中で「貞観津波の襲来から既に1100年余の時が経ており、津波による堆積作用の周期性を考慮するならば、仙台湾で巨大な津波が発生する可能性が懸念されます」と警告を発していたといいます。(世界6月号)
 また、東京の独立行政法人産業技術総合研究所チームも2005年から貞観地震・津波について研究に取り組み、「同規模の津波が近い将来に再び起こる可能性が否定できない」という報告書を2009年にまとめ、原発の耐震性再評価の検討審議会で提起もされたそうです。(世界6月号)
 警告がなされたのに対応策が取られてこなかったということですが、この後も巨大な地震と津波はいずれ襲来することでしょう。
 日本中で災害に対する備えを再点検しなければなりません。自治体で行う防災訓練も恒例行事化していますが、実効性を伴ったものに変えていく必要がありと思います。
 

 

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2011年5月20日 (金曜日)

新しい生き方

 新緑がまぶしく、暑くもなく寒くもないこの時期。「目に青葉山ほととぎす初がつお」という俳句がありますが、まさに1年で一番過ごしやすい季節ではないでしょうか?

 1995年に阪神淡路大震災が発生、4年前には中越地震、そして今後、東海地方での地震が予測されています。地震大国の日本には原発はまったく馴染まないのは明白です。
 「世界6月号」に原子力からの脱出という特集記事が掲載されています。その中で自民党の河野太郎議員は、「2050年、すべての原発が廃炉になる時までに、再生可能エネルギーを100パーセントにする、それぐらいの政策目標を掲げるべきです」と述べ、「地域経済の活性化にも繋がっていくのです」と結んでいます。
 経済人では、孫正義氏が、「東日本にソーラーベルト地帯を」として、かつての港を、太陽の港、風の港として甦らせよう、と提案しています。
 東大名誉教授の和田春樹氏も、「精神の革命が求められている」と論文を寄せています。
 
 この大震災を教訓として、新しい価値観に基づく人間らしい生き方が問われていることを強く感じています。そして、その予兆が各界から上がっていることを。

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2011年5月15日 (日曜日)

いろは市に名取の海産物を

 まちづくり塾では昨年5月から十日町に事務所を開設したので、昨年から十日町のいろは市(100円市)に出店しています。
 昨年は、伊豆の下田の甘夏を無料で提供してもらい、それを1個100円で売り、大変好評でした。今年は、理事会で話し合ったところ、復興支援で名取の海産物を出店を出せないかという話しになり、昨日、名取市の漁業協同組合の会長さんに電話し了解を得ました。
 しまほっけ1枚100円を目玉に、笹かまぼこ、塩辛の3種類をとりあえず仕入れることにしました。
 6月4日の朝、取りに行って10時開店に間に合わせようという仕掛けです。乞うご期待。

 

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2011年5月13日 (金曜日)

脱原発の動きを

 神奈川の足柄産の茶葉から放射能が検出されたとの報道がありました。
 4月18日付の私のブログにノルウェーやドイツの気象庁の拡散予測動画について書きましたが、それを裏付けるような報道にぎぐっとしました。http://umedaclinic.jp 
 また、昨日、脱原発の学者達が原発のコストは安くないということをテレビで主張していました。国や電力会社の計算式は意図的に安くなるようにしているというのです。確かに、建設から現在までの運転に要した経費、将来廃炉にするための経費の総額を分子にして、現在までの総発電量を分母して計算すれば、発電コストは算出できるでしょう。それによると電子力は水力より高く、発電コストが一番安いという宣伝はウソであるということがわかったとのことでした。
 安くもない電子力に加え、大きなリスクがあるということで、脱原発の流れは加速していくのでしょうし、そうあるべきと思います。人間は自然と調和することでしか生きられないということを肝に銘ずる必要があると思います。

 今朝、大分県竹田市の首藤市長から電話をいただきました。食用ほおずきを10本お送りしたので、それに対する御礼でした。上手に栽培できるようにマニュアルも送りしたところですが、どのような実をつけるか楽しみです。大丸旅館という宿を経営されているので、秋にはお膳に添えられるのでしょうか。奥様の奮闘に期待。

 まちづくり塾の総会が今月28日に開催されることから、事務局のお手伝いとして、案内通知や総会資料作成を行っています。

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2011年5月 6日 (金曜日)

復興に向けた動き

 連休も終わりに近づきましたが、お祭りへの招待もないため、久し振りにゆっくりした連休を過ごすことができました。
 昨日は、IVYで立ち上げている「東北広域震災NGOセンター」のスタッフとして、石巻、女川、気仙沼の各避難所を回り、以前御用聞きしていた品々を配達してきました。
 石巻の湊小学校では、今日の夕刊に掲載されていましたが、山形映画センターのスタッフが映画の上映に来ておられました。とにかく多種多様な団体や個人が復興に関わってくれていることがわかります。
 東北広域震災NGOセンターでは、「キャッシュ・フォー・ワーク」ということで、被災した地元の方から復興の仕事をしてもらう被災者の雇用創出事業を展開し始めました。家は流されなかった家庭でも、家の中はとても住める状態ではない家ばかりです。自分で片づけをやれる方はいいのですが、高齢者の方を中心に人手を必要としている家庭に対し、被災した方の中で就労を希望する方を派遣するものです。仕事の割には時給はたったの750円ですが、一生懸命仕事をされておられ感服します。仕事をしてもらった家でも大変喜んでくださっているとのことでした。
 このキャッシュ・フォー・ワークの賃金は日払いが原則であり、事業の成否は資金力に左右されます。ある企業から大口の寄付金がいただけるのではとの朗報もあり期待しています。
 あの瓦礫の山を見ると、この先、復興にこの先どの程度の時間を要するのか分かりませんが、少しずつでも前に歩んでいかなければなりません。
 写真を添付します。1枚目は気仙沼で「キャッシュ・フォー・ワーク」を担ってくれているスタッフです。2枚目、津波が押し寄せたため家の中は外からの荷物も入りめちゃくちゃ。
3枚目、綺麗になった庭。4枚目、屋上に上ったバス。(たしか女川町)
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2011年5月 1日 (日曜日)

ご意見はメールにてお願いいたします

 昨日我が家に戻りました。娘の今の生活振りや今後の生活の展望も垣間見ることができ一安心。同道した家族も行って良かったと言っております。
 今回の件を持って、親としての子育ての責任はとりあえず果たしたものと感じてきました。

 さて、留守中も様々なコメントをいただき、私のサイトも支離滅裂状態。挙句の果ては、私の名を語った投稿者まで出現するに至っては放置できないと考えました。
 私が書いてもいないのに投稿されることは事実の歪曲で容認できません。つきましては、自己防衛の手段として、コメントは今後しばらく受け付けないことにいたします。私へのご意見は、メールにてお願いします。

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