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2012年5月24日 (木曜日)

蔵王鉱山閉山50周年

 ここ1週間というもの、まちづくり塾の決算書作成、まちカフェの営業などで慌ただしく、ようやく蔵王鉱山の閉山50周年記念式典の記事を書くことができます。
 去る5月15日に小雨の中、猿倉の山の神様にて神事が行われ、レストハウスで懇親会が行われました。同窓会と同じようなもので、閉山50年ですから皆さん年配者ばかりです。若い人がいるなと思うと、2世で胸に父親の名前を書いたネームプレートを付けています。
 蔵王鉱山の採掘が始まったのは明治の初期だったそうで、大正時代から事業として硫黄の精錬が行われたと沿革には記されています。昭和27年には、従業員600名、家族を入れると1,200人が蔵王鉱山で暮らし、前途有望な企業として発展していたということです。
 しかし、昭和30年代に入り、石油の脱硫装置から硫黄を生産できるようになったことで鉱山は下火となり、加えて昭和37年12月24日に坑内火災が発生、火を消し止めることはできず遂に翌年3月に閉山となったのでした。
 私も、子どもの頃の記憶として、上山駅から蔵王まで索道(リフト)があったのを覚えています。
 参会者にとって蔵王鉱山は、心のふるさととして永遠に残っていることを感じました。本当に熱い思いでした。かっての労働組合委員長で今回の発起人代表の川口兼次さんは、「樹氷の蔵王、世界の蔵王という観光のうたい文句の中にこの歴史が没せられてはならない」と言います。

 この蔵王にもうひとつの逸話があります。それは、イギリス人のウイリアム・クラークさん(当時の英国航空の部長)と地元上山市の山岳家 阿部虎次さんの遭難の話です。昭和31年3月15日、蔵王のスキーコースの調査にないっていた2人が遭難し大規模な捜索隊が編成され、残念ながら遺体で発見された事件です。
 蔵王に冬季オリンピックを誘致するため、熊野岳から中丸山までの3000mのコース、そして蔵王鉱山までの900m弾丸直滑降コースをつくるという壮大な計画だったそうです。
 ロマンに満ちた話です。蔵王には、いくつものドラマがあるのですね。
 ちなみに蔵王エコーラインが開通したのは昭和37年です。今、蔵王の樹氷がだんだん消失しているとの研究結果がでていますが、改めて蔵王の有難さを感じた一日でした。
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硫黄の原石、真っ黄色


 
 

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